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食べ物と殺生


 どうもこんばんはライネです。

 昨日は仏教徒のルールについて説明しましたが、
 自覚はしていないものの仏教徒であるらしい先生の生態から考えるに、
 少なくとも「肉食の禁止」については完全に範囲外にあるようです。

 けれども生物を自分の手で殺さないと解釈するなら、これは当てはまっているかもしれません。
 面倒という理由のほうが強いと思いますが、先生は魚がおろせないのだそうです。
 とはいえ、蚊は平気で叩いているので、このあたりを好意的に捉えるなら、
 自分に害がある生物はその範囲外なのかもしれません。



 以下、個人的に考えるちょっとだけ真面目な話をします。

 生物を殺さないというのはとても良くわかる話で、
 たしかにむやみに生物を殺すというのは良いことではないと思います。
 でも食べるために殺すというというのは意味が違うと思うのです。
 
 美味い生物を絶滅するまで殺すというのは違うと思いますが、
 人だって、人が食べている生物だって、何かを食べているわけですし、
 殺生を禁止するということは、
 食べられずに済んだ生物が他の生物を殺して食べるのを認めているとも捉えられます。

 ちなみに先生は「蜘蛛は殺さない主義」という不思議な理論を持っています。
 こいつはゴキブリを食べてくれるから、ウェルカムなのだそうです。
 私も最近では苦手になってしまいましたが、
 これは仏教徒的にアリなのでしょうか?


 そう考えると、植物は自然に死んだ動物や落ち葉が分解された栄養素と水、そして光で生きています。
 食虫植物のように積極的に生物を殺して食べているわけではないので、
 植物は殺生の禁止という仏教のルールを守っている生物であると考えられます。

 ということは植物を食べて、動物を食べないというのは、
 生態系という名の殺生の連鎖を考えると、逆効果な気がしなくもないのですがどうなんでしょう?
  

 中には植物も生物だということで、木の実や果実のように、
 それを食べたところで本体は死なないものなら食べてもいいとする考え方もあるようです。

 でも、むしろ木の実や果実を食べられてしまっては次世代が残せないので、
 生物的には困るのではないでしょうか。


 食べるという行為をしなければ生きていけないのが生物なんだから、
 極端な話、食べるためでも殺してはいけないというなら、死ぬしかないわけです。
 でも、それだって自分という生物を殺してしまうわけなので、
 結論を言えばバランスよく適度な量をなんでも食べて残さないというのが一番だと思います。


 たぶんこんな感じなのが禅問答なのかもしれません。
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現在この世界のことを勉強中。
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合言葉は「真面目な事を不真面目に!」
記事の真偽は自己責任でお願いします。

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