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アフリカ南部とイギリス


 どうもこんばんはライネです。

 昨日はアフリカがヨーロッパの国々の植民地になったという所まで説明しましたが、
 少し詳しくこのあたりについて調べてみましょう。

 ヨーロッパ各国がアフリカの各国を植民地とするより少し前、
 既に南アフリカにはオランダによる植民地が作られていたそうです。

 というのも、随分昔になりますがヴァスコ・ダ・ガマさんの航海でも説明したように、
 南アフリカはヨーロッパから船でアジアに行く際の中継地点だったわけです。

 そこを中心に「ケープ植民地」と呼ばれる地域がオランダによって作られていました。
 けれどもフランスで革命がおこり、その後の戦争によってオランダがフランスの支配下になります。

 どうやら「フランスが調子に乗ると、イギリスが妨害する」というのがお決まりのようで、
 この時もケープ植民地までもフランスの物になったら、よりフランスが強くなってしまうということで、
 イギリスがケープ植民地を奪ってしまいます。

 この一件でフランスとイギリスの関係は更にこじれるのですが、
 最終的に1806年にイギリスの植民地となりました。


 ちなみに、ケープ植民地にはオランダの人が大勢住んでいたのですが、
 この人たちはイギリスに支配されることを拒んで、南アフリカの他の地域に引っ越しします。
 その地でいくつか新しい国をつくるのですが、イギリスと争った結果ひとまず独立を維持。

 その間に、ジンバブエとザンビアに当たる地域もイギリスによる植民地となり、
 こちらはローデシア植民地と呼ばれています。
 また、ボツワナもイギリスによって保護され、実質的な植民地となりました。


 その後、元南アフリカに住んでいたオランダ人が作った国もイギリスが戦争によって勝ち取り、
 ケープ植民地と合わせて「南アフリカ連邦」と言う国が生まれます。
 なお、南アフリカ連邦は植民地というよりイギリスと対等なひとつの国という扱いだったので、
 植民地とは言わないようです。
 これが現在の「南アフリカ共和国」へとそのまま変化していきます。

 というわけで、このあたりを地図にまとめると、
 こんな感じになります。
 
アフリカ南部とイギリス
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