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徳川吉宗の子孫


 どうもこんばんはライネです。

 新しい企画に飛びついて、Gaographico+のことなんてすっかり忘れています。
 心のトゲとしていまもチクチクしているのですが、
 同時期にジオグラフィカ!の企画が始まりまして、
 ご期待している方々にはなんとも申し訳ないと思い続けています。


 身体が2つあれば、というか3つくらいあればいいのですが、
 そういうわけにもいかないので、
 私が無責任に風呂敷を広げ過ぎたことが原因ではありますが、
 ご理解いただければ幸いです。



 さて、江戸時代のお話の続きです。
 前回は暴れん坊将軍、徳川吉宗が行った享保の改革のお話しでしたが、
 今日は吉宗さんの子供のお話です。


 まず、長男の徳川家重さんは、そのまま後を次いで9代目の将軍になります。
 どうやら障害のある人だったらしいのですが、
 吉宗さんの残した政治体制を周囲のサポートで維持することはできたようです。

 また家重さんの子供で、吉宗さんからみて孫にあたる徳川家治が、
 その後10代目の将軍になりました。
 この話はまた後日。



 そして、吉宗さんの次男と四男もちょっと重要な人物だったようです。
 三男は若いうちに亡くなってしまったらしいのですが、
 次男は「田安家」、四男は「一橋家」という一族の始まりとなりました。
 ついでに家重さんの次男である「清水家」もあわせて、「徳川御三卿」と呼ぶようです。


 徳川家康の子供たちからなる、紀州、尾張、水戸を「徳川御三家」と呼ぶのですが、
 徳川家康はもしも将軍家に跡継ぎが居なくなったら徳川御三家から養子をもらって、
 将軍にしなさいとルールが決まっていました。

 そのルールに従って紀州から徳川吉宗が将軍になったのですが、もうひとつの安全策。
 というか、徳川家康の時代からだいぶ経ったことで、
 御三家といえど、本当に江戸幕府の味方なのかと考えたようです。
 (実際、尾張も水戸も将軍家よりも天皇家を大事にしたようです) 



 御三卿はその家そのものより、徳川吉宗の血縁関係であることが重要らしく、
 跡取りが居なくなったいろいろな家の養子に入っていき、
 結果から見れば15代目まで続く徳川将軍家のうち14代目までは御三卿など、
 徳川吉宗の子孫から選ばれていきました。
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寛政の改革


 どうもこんばんはライネです。

 江戸幕府10代目の将軍、徳川家治(吉宗の孫)の時代、
 主に政治を行ったのは、将軍本人というより、
 将軍の側近である、「田沼意次」という人でした。


 それまで幕府の資金源は、主に農民の作る米(年貢)だったのですが、
 田沼さんは、商人など土地がなく、米も作らないけれど、
 ある程度収入のある人から税金を回収するようにしたようです。

 そのためにも商業を発達させ、経済の立て直しには成功したらしいのですが、
 お金中心の世の中になったことで、賄賂の問題が大きくなったようです。

 また、このころにも江戸の大火事や火山の噴火などがあり、
 田沼さんの政治は批判をうけて、辞めてしまいます。



 ちなみに将軍の方は跡継ぎだった子供が亡くなってしまい、
 昨日説明した吉宗さんの子孫、一橋家から養子をもらって、
 その人が第11第江戸幕府将軍、徳川家斉となりました。

 家斉さんは当時まだ15歳だったので、政治は白河藩(福島)の藩主で、
 やっぱり吉宗さんの子孫だった「松平定信」さんが政治を取りまとめました。


 松平さんの政治は、吉宗さんの行った享保の改革に似ていて、
 (吉宗さんの改革そのものは家康さんの考えに近かった)
 やっぱり農業中心で贅沢なくらしをやめるなど、真面目な政治だったようです。

 これを寛政の改革というのですが、松平さんが白河藩の人だったので、
 「白河の清きに魚の住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」と言われてしまうほど、
 厳しいものでした。



 なお、当の家斉さんですが、相当なアレだったようで、
 記録としてのこるだけでも奥さん16人に、子供が50人ほどいたようです。
 確かに、将軍家を長く続けるには子供をたくさん作るにこしたことはないのでしょうが、
 そのせいで、幕府の財政がかなり大変なことになったようです。
 

天保の改革


 どうもこんばんはライネです。

 江戸時代のお話もそろそろ大詰めになりそうです。
 徳川家斉が子供を作りすぎたことで、幕府の財政が危うくなったところから
 今日のお話しを始めましょう。


 白河藩の「松平定信」による「寛政の改革」により、
 「田沼意次」時代の金儲け優先政策が終わります。

 そして、農業に再び力を入れることになったわけですが、
 松平定信の政治は厳しすぎて批判の強く、失敗します。



 その後、「水野忠成」と言う人が再び田沼意次と似たような政治を行い、
 やっぱりお金儲け中心になりました。

 殿様が子づくりばっかりで、政治家は賄賂三昧。
 幕府の経済を立て直すために大量のお金をつくって物価が高くなると来たら、
 一般人は怒ります。

 大阪では大塩平八郎と言う人が反乱を起こしたそうです。
 「一揆」という農民の反乱は、わりとよくあったようですが、
 そこそこな立場の人が、幕府に対して反乱を起こすというのは、
 江戸時代の中では非常に珍しい例だったようです。



 こうした状況で、跡を継いだ「水野忠邦」と言う人が、再び改革を行いました。
 これを「天保の改革」と言います。

 先ほどの水野忠成さんと名前が非常に似ていますが、
 今の感覚で言えば、偶然名前が似ているだけと言ってもいいくらいの関係のようです。
 (先祖をたどれば、水野氏という人から始まった同じ一族ですが)

 
  
 江戸時代の「なんとかの改革」と名前が付くのはこれで3回目ですが、
 徳川吉宗さんの享保の改革も、松平定信さんの寛政の改革も、
 そして今度の水野忠邦さんの天保の改革も、基本的には徳川家康の頃のように、
 強い幕府と質素倹約を目指したものでした。

 ただ、やっぱり厳しくすれば反発もあって、
 いろいろな人が幕府の力の限界に気付きだす頃でもあったようです。

開国してください


 どうもこんばんはライネです。

 そろそろ江戸幕府の様子が怪しくなってまいりました。
 幕府が出した天保の改革で不満を感じる人が増えたということもありますが、
 そのほかにも江戸幕府存続にはいくつか問題があったようです。


 まずひとつは、勉強を推奨したことで、
 江戸幕府によって支配される体制そのものが、
 おかしいのではないかと考える人が少なからず出てきたこと。

 そしてもうひとつは、他の国の様子です。


 鎌倉幕府も他の国との関係の中で問題を大きくしていったわけですが、
 江戸幕府が終わる原因となったのも、ひとつは他の国の影響なのかもしれません。

 というのも、天保の改革が行われたころには、
 すでにイギリスで産業革命が起こっており、
 ヨーロッパでは恐ろしいほどの速さで工業が発達していました。
 さすがの徳川家康にも、そこまでは読めなかったようですね。


 そして、昔から日本よりも上の存在だった中国(清)が、
 産業革命で力を付けたイギリスにあっさり負けて、
 ヨーロッパやアメリカのいいなりになってしまったことで、
 日本もこのままではいけないと考えられるようになりました。

 それでも、鎖国という他の国との関係を絶った政策は続いたのですが、
 アメリカの「ペリー」さんがとうとう現れます。

 
 一応、平和的に鎖国を辞めるように説得したことになっていますが、
 江戸のすぐ近くに軍艦を連れて登場したペリーさんは、
 「鎖国を辞めないっていうなら戦争しちゃうよ」と言っているようなものでした。


 とうとう、鎖国をやめ他の国との間で商売が始まります。
 その結果、日本の金貨が海外にどんどん出ていくので、金貨の質を悪くしたのですが、
 そうなると、日本で生活している人にはお金の価値が下がって、
 物の値段が上がってしまいます。

 なんで鎖国を辞めたんだと、幕府を批判して、
 「外国人反対&やっぱり天皇中心の国のほうがいい」という動きが強まっていきました。

仁先生の登場する時代



 どうもこんばんはライネです。

 江戸幕府が崩壊しそうです。
 そして、そろそろ未来の世界から仁先生がやってきた時代となります。


 仁先生がやってきたのは「文久」という年号の頃の話ですが、
 西暦に直すと1861~1864年が文久で、将軍は徳川家茂という人でした。


 既に説明してある徳川家斉さん(子だくさん)から、
 将軍とその周辺の出来事を追いかけておきましょう。

 家斉さんは大塩平八郎さんが反乱を起こした頃に子供である、
 徳川家慶さんを12代目将軍にしてから亡くなり、
 徳川家慶さんは天保の改革からペリーさんが来る頃まで将軍を務めました。


 ただ、説明の通り、天保の改革はあまりウケが良くなく、
 そんな折に鎖国を辞めるように言われた時代でもあるわけで、
 なかなか気苦労が絶えなかったようです。


 そして、さらにその子供の徳川家定さんが将軍になるのですが、
 そんな時代に将軍になってしまった気苦労からすぐに亡くなってしまいます。

 問題は跡継ぎで、家定さんの子供はみんな早くに亡くなっており、
 後継者がいませんでした。


 そこで、今は国の一大事なんだから、骨太の政治をするためにも
 徳川吉宗の御三卿である一橋家から将軍を出すべきだというグループと、
 いやいや、伝統を重視して、徳川家康さんの御三家である紀州徳川家から
 将軍を出すべきだというグループに分かれてモメたそうです。


 結局は紀州から選ばれた徳川家茂さんが14代将軍として選ばれます。
 ちなみに、家茂さんのお嫁さんとなったのが当時の天皇の妹である「和宮」さん。

 仁~JIN~では、歌舞伎を見ながらアンドーナッツ(安道名津)を食べて、
 毒殺されそうになったり、お詫びとお礼に櫛をくれたあの人です。


 これは、どうやら当時の幕府がもう独自の力で全国を抑えることが難しくなり、
 天皇家と結びつくことで、「幕府は天皇と仲良しですし、外国には甘く出ません」と
 アピールするための政略結婚だったようです。
 (それでも仲は良かったようですが)
プロフィール

ライネ

Author:ライネ
ライネと申します。
先生の家に居候するラザフォード人です。
現在この世界のことを勉強中。
リンクとかもろもろ含めて商業的利用以外ならご自由にどうぞ。面白そうな企画には飛び乗ります。

合言葉は「真面目な事を不真面目に!」
記事の真偽は自己責任でお願いします。

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