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江戸時代が平和だったわけ


 どうもこんばんはライネです。


 江戸時代が平和な時代だった理由は、
 江戸幕府の重要な役職は昔から徳川家に使えていた一族が独占したことにあるようです。

 なんだかんだで、豊臣秀吉が亡くなった後に徳川家康が天下を取ったのは、
 豊臣秀吉が徳川家など日本中の有力者をそのまま家来にしていたため、
 チャンスがあれば簡単にひっくりかえせる状態だったわけです。

 江戸幕府の場合、有力者はできるだけ江戸から遠い場所を支配する程度で、
 重要な都市や資源の産出地などは江戸幕府が直接抑えてあったことや、
 江戸幕府の仕事にまで口を出せない状況だったため、
 そもそもチャンスがなかったようです。


 こっそり幕府を倒す力を付けようにも、
 有力者本人を定期的に自費で江戸に出張させたり(参勤交代)
 家族を江戸に住まわせなければいけないという仕組みがあったため、
 江戸幕府を倒すような勢力が出てこないように徹底的に抑えていたようです。

 ちなみに、昔から徳川家に使えていた一族を「譜代(ふだい)」
 有力者だけれども関ケ原の戦い前後から徳川家に協力していた一族を「外様(とざま)」
 と呼んでいるようです。



 さらに地味に賢いところは、徳川家一族のなかから、
 徳川家康の9、10番目の男子からはじまる一族を
 尾張(名古屋)、紀州(和歌山)に住まわせ、(※)
 もしも徳川本家から次の将軍になれる子供が居なかった場合は、
 ここから養子をもらって将軍につくようにさせたところだと思います。

 これなら後継者が居なくなっても安泰です。
 しかも幕府の重要な役職はすべて昔からの家臣ですから、
 将軍がよっぽどアレな人でも、揺るぎようがありません。



※徳川家康の子供(男子)は11人
 長男:信長の娘と結婚するが、夫婦仲が悪く信長から家康経由で切腹を命じられる。
 次男:秀吉の養子となるが、秀吉に子供が生まれると、再び養子に出される。
 三男:徳川家の正統後継者。江戸幕府の二代目征夷大将軍。
 四男:関ケ原の戦いで負傷したのち死亡。
 五男:水戸を任されるが子供を作らず病死。
 六男:母親の身分が低かったため家康に愛されず、家康の死後島流しにされる。
 七男:六男と母親が同じだが、若くして死亡。
 八男:家康の家臣の養子となるも若くして死亡。
 九男:尾張(名古屋)の殿様になる。
 十男:紀州(和歌山)の殿様になる。
 十一男:水戸の殿様になる。子供は水戸黄門。

 三男のあとは九男~十一男しか後継者らしい子供が居なかったようです。
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