FC2ブログ

ソビエトの崩壊


 どうもこんばんはライネです。

 はてさて、今日はソ連の崩壊までの流れについて調べてみましょう。
 ソ連と言えば冷戦のイメージがあるのですが、どうやらいきなり冷戦になったわけではなさそうです。


 ソ連の誕生は1922年で、その後国内でのゴタゴタはあったものの、
 1939年から第二次世界大戦へと突入します。
 そして第二次世界大戦が終わった後から、アメリカなどとの冷戦が始まったようです。

 今回は冷戦がメインテーマではないので、
 冷戦については「冷戦って何? ①」を参考していただくとして、
 ロシアが崩壊するまでの大きな流れを見ていきましょう。


 まず、ロシア崩壊の原因は内側と外側にあったようです。

 内側に関して言えば、簡単に言ってしまえば経済が上手くいかなくなったことにあります。
 社会主義国に多いのですが、こういう自由にお金を稼いではいけない国では、
 国がリーダーシップを発揮して、必要なものを作るように指示していくわけです。
 ある意味ひとつの会社に近い物があるかもしれません。

 ですので、社長が「今年は100トンの小麦をつくろう」と宣言して、
 社員全員に一人これだけ作りなさいと指示を出します。

 仮に一人「1トン」の小麦を作れと言われた時、「2トン」の小麦を作る人はそうそう居ないと思います。
 しかもどれだけ作ってもお給料が変わることはありません。
 つまり、この状況だと全員が上手くやれば本当に小麦が100トン手に入るわけですが、
 誰かひとりでも失敗したら目標が達成できないわけです。


 また、社長の権限があまりに強く、批判する人はクビになるような会社ですので、
 社長のどんな的外れな意見でもすんなり通ってしまいます。
 こんな会社辞めてやるという社員も結構な数居たのでしょう。 


 外側に関しては、仲間がどんどん居なくなったことにあります。
 中国とはケンカ別れをして、社会主義国をやめようとする国に口を出したりして、
 味方となる国がだんだんいなくなってしまいました。
 こうなると、さすがに一か国だけ意地を張っていてもどうしようもありません。

 そして、「ゴルバチョフ」さんがリーダーとなった時に、「ペレストロイカ(改革)」が行われました。
 また、原子力発電所で事故がおこると、「グラスノスチ(情報公開)」が進みます。
 こうしてだんだんと自由な意見が言える国へと変化していったわけです。


 要するにワンマン社長だった会社から、社員の意見が通る会社へと変化したわけですね。


 とはいえ、結果として国内でもっと改革を進めようというグループと、
 改革に反対するグループが対立してしまい、みんなが平等という大前提が壊れだします。
 その結果、ソ連から独立する国が出てきて、崩壊が止まらなくなりました。

CIS加盟国


 どうもこんばんはライネです。
 今日はソ連の崩壊によって誕生した組織について見ていきますよ。


 1991年、ソ連という国の消滅と同時に誕生したのが「独立国家共同体(CIS)」という組織です。
 基本的にはソ連を構成していた国がそっくり入るのですが、
 少しばかり例外があります。

 CIS加盟国からそんな例外を押さえていきましょう。

 <CIS加盟国> ※アルファベットは地図中の国の位置
 ・ロシア(①)
 ・ベラルーシ(②)
 ・モルドバ(③)
 ・アルメニア(④)
 ・アゼルバイジャン(⑤)
 ・カザフスタン(⑥)
 ・ウズベキスタン(⑦)
 ・タジキスタン(⑧)
 ・キルギス(⑨)

 <準加盟国>
 ・トルクメニスタン(⑩)
  1995年に「永世中立国」を宣言したためCISから距離を取っている。

 <かつての加盟国> 
 ・グルジア(⑪)
  元々ロシアに批判的だったのでCIS成立と同時に加盟しなかったが、
  少し遅れて1993年に加盟し、2009年に脱退している。

 ・ウクライナ(⑫)
  CISに正式に加盟していたわけではないが、事実上の準加盟国だった。
  2014年に正式に脱退を宣言しているが、認められたわけではない。

 <旧ソ連だが一度も加盟していない国>
 ・エストニア(⑬)
 ・ラトビア(⑭)
 ・リトアニア(⑮)
  この三カ国を「バルト三国」と呼ぶが、これらの国は正式なソ連の崩壊以前に独立している。
  時間的にはわずかな差だが、他の「旧ソ連」とは少し意味合いが違う。
  現在は3カ国ともEUに加盟しておりCISとは完全に無関係。

CIS.jpg

 ちなみにこれが旧ソビエトです。
旧ソ連

CISってどんな感じ?


 どうもこんばんはライネです。

 昨日は独立国家共同体(CIS)について説明しましたが、
 どうやらCISは、これまでに登場したEUやASEANのように、
 ひとつにまとまる方向に動いているとは言いにくいようです。


 たしかにソ連が崩壊した後で、元ソ連として協力していこうというものだったようですが、
 むしろ誕生した時の方がひとつにまとまっていて、
 今はだんだんとバラバラになりつつあるのかもしれません。

 それを独り立ちできるだけの力をつけて安定してきていると捉えるか、
 グループの内部分裂がおこって戦争の火種が起こりそうになっていると捉えるかは、
 判断の難しいところだと思いますが・・・。
  


 現状をざっくり説明すると、元ソ連の中で一番力が強いのがロシアです。
 そして、CIS加盟国はロシア派と反ロシア派の2つのグループに大きく分けられるようです。

 ロシア派の国としてはベラルーシなんかがそうなのですが、
 反ロシア派の国はCISから距離を取りつつあるようです。
 去年CISからの脱退を宣言しているウクライナなんかは反ロシア派ですね。

アフリカの歴史をざっくりみてみよう


 どうもこんばんはライネです。

 今月から東京MXでシュタインズゲートの再放送がはじまりました。
 以前先生に薦められて見たことがあるのですが、1話毎の間が1週間空いてしまうと、
 なんともモヤモヤするアニメだと気付きました。
 これは取り溜めて連続してみた方が面白いと思います。


 さて、CIS編もこれにて終了ということで、次はアフリカについて見ていきましょう。
 アフリカにも実はEUやASEANのようなグループがあります。
 その名も「アフリカ連合(AU)」。

 加盟国はアフリカのほぼすべての国というから、
 加盟国の数だけで見れば、EUやASEAN、CISよりも巨大な組織だということがわかります。

 では今日からアフリカ連合の歴史を追いかけてみましょう。
 まず、アフリカ連合ができるずっと前のお話しです。


 現在アフリカには50以上の国があります。
 全ての国について歴史をまとめるわけにもいかないので、最初は大まかな話をして行きます。

 アフリカはどうやら最初の人類が誕生した地域なのだそうです。
 そこから全世界へと生活地域を広げて行ったわけですが、
 もちろんエジプトを初めとして古くから各地で人々が暮らしていたようです。

 アフリカの各地で暮らす人々は、時に他の地域とも交流しながら、歴史を重ねるわけなのですが、
 ヨーロッパの力が強くなってくると、大きな変化が起こりました。

 イギリスをはじめ、ヨーロッパの国がアメリカ大陸を自分の物とするようになると、
 圧倒的に労働力が足りずに、アフリカに住む人々を大勢アメリカに連れて行ってしまったのです。
 これを「奴隷貿易」と呼んでいます。

 今でこそ、人の命の重要性は何よりも重たいということが世界共通の考えになっているようですが、
 昔はそんな考えはなく、まるでロボットのように商品と考えられていたようです。
 アフリカ現地の人々でさえ、敵対する人々を捕まえてヨーロッパに売っていたというから、
 なんとも辛い歴史ですね。


 この出来事は、アフリカに大きな問題を残します。
 というのも、余りに多くの人がアメリカに連れて行かれてしまったため、
 アフリカで農業や工業などを行う人手が足りなくなってしまったのです。

 アフリカから奴隷となる人が居なくなり、また世界的にも奴隷を禁止する動きが大きくなると、
 今度はアフリカの資源がヨーロッパ人にとって注目されるようになりました。


 今で考えるなら、資源が欲しいならお金を出して買えばいいというのが自然な流れなのですが、
 買うより資源がある国を丸ごと自分のものにしてしまえというのが当たり前だった当時、
 アフリカのほとんどの地域がヨーロッパの植民地となってしまったわけです。

アフリカ南部とイギリス


 どうもこんばんはライネです。

 昨日はアフリカがヨーロッパの国々の植民地になったという所まで説明しましたが、
 少し詳しくこのあたりについて調べてみましょう。

 ヨーロッパ各国がアフリカの各国を植民地とするより少し前、
 既に南アフリカにはオランダによる植民地が作られていたそうです。

 というのも、随分昔になりますがヴァスコ・ダ・ガマさんの航海でも説明したように、
 南アフリカはヨーロッパから船でアジアに行く際の中継地点だったわけです。

 そこを中心に「ケープ植民地」と呼ばれる地域がオランダによって作られていました。
 けれどもフランスで革命がおこり、その後の戦争によってオランダがフランスの支配下になります。

 どうやら「フランスが調子に乗ると、イギリスが妨害する」というのがお決まりのようで、
 この時もケープ植民地までもフランスの物になったら、よりフランスが強くなってしまうということで、
 イギリスがケープ植民地を奪ってしまいます。

 この一件でフランスとイギリスの関係は更にこじれるのですが、
 最終的に1806年にイギリスの植民地となりました。


 ちなみに、ケープ植民地にはオランダの人が大勢住んでいたのですが、
 この人たちはイギリスに支配されることを拒んで、南アフリカの他の地域に引っ越しします。
 その地でいくつか新しい国をつくるのですが、イギリスと争った結果ひとまず独立を維持。

 その間に、ジンバブエとザンビアに当たる地域もイギリスによる植民地となり、
 こちらはローデシア植民地と呼ばれています。
 また、ボツワナもイギリスによって保護され、実質的な植民地となりました。


 その後、元南アフリカに住んでいたオランダ人が作った国もイギリスが戦争によって勝ち取り、
 ケープ植民地と合わせて「南アフリカ連邦」と言う国が生まれます。
 なお、南アフリカ連邦は植民地というよりイギリスと対等なひとつの国という扱いだったので、
 植民地とは言わないようです。
 これが現在の「南アフリカ共和国」へとそのまま変化していきます。

 というわけで、このあたりを地図にまとめると、
 こんな感じになります。
 
アフリカ南部とイギリス
プロフィール

ライネ

Author:ライネ
ライネと申します。
先生の家に居候するラザフォード人です。
現在この世界のことを勉強中。
リンクとかもろもろ含めて商業的利用以外ならご自由にどうぞ。面白そうな企画には飛び乗ります。

合言葉は「真面目な事を不真面目に!」
記事の真偽は自己責任でお願いします。

つぶやき
のべ閲覧者
姉妹サイトへ
Geographico+

地理の問題集ブログ。
難易度は大学入試くらい?
(諸般の都合で開店休業中)



Geographic@!
もうひとつのGeographico!
楽しく学べる地理小説?
地理の質問募集中

名前:
メール:
件名:
本文:

ラグナロクオンライン
海外いろは
海外赴任・留学・出張の総合情報サイト - JCMの「海外いろは」 海外赴任の総合情報サイトです。海外赴任時の出発までの準備、現地での生活、子供の教育、そして日本への帰国に至るまでの情報を掲載しています。また、海外留学・海外出張に関する情報も掲載しています。
管理用
検索フォーム
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
カレンダー
06 | 2015/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
ページワープ機能

Designed by 石津 花

最新コメント
最新トラックバック